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そこで思いついたのが「綺麗な花」と「美しい花」の言葉を使い分けて教えることでした。
美しい花は自分だけにしか見えない綺麗さと言えるかもしれません。
そこにはそれに携わる者の心とやさしさが伴い、悩みや創造をも含めた愛情によって作られるからです。
しかもそれはゴツゴツの石であっても、折れてつなぎ合わせてやっと咲いた小さな花でも、虫に食われて穴だらけの葉であっても、偶然に咲いた綺麗な花より、それこそ大勢の人に語りたくなるような思い出や、中身のこもったもの、それこそ本当の美しい花だと思います。 |
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一方綺麗なものはどうでしょうか。中身は何もありません。
綺麗なものは誰が見ても綺麗だからです。
新雪の積もった真っ白の山々、真赤に紅葉した山々、ツルツルした石や人間の肌、揃っていて癖のない字体など全てバランスのとれたもの、純色で飾られた色の組み合わせや、さわっても怪我のしない滑らかさや、おまけに何の匂いもしないものが綺麗なものだと思います。 |
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| そこで美しい人生に話しをつなげたときに、皆さんの今日までの何万日悲しみや苦労を乗り越えて育ててきた人のことを思うと、人それぞれどんな個性があろうとも、一人一人がとても美しい者であることを改めて自覚しよう。 |
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美しい人生それはやはり人生のひとつの節目に思うもの。
そんな時期歩んできた道を振返ったとき、たくさんの思い出や、また力一杯生きてきた苦労話など、自ら人に語りたくなったり、世話を焼きたくなったりします。 |
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そんな人こそ、涙の量を測り知れない人生やりあげた人だと私は思います。
あえて言葉を整えるなら、今から美しい人生を求めて転びながらもよじ登って欲しいと思います。 |
| 平成19年1月8日 |
| 稲田俊夫 |